岡谷会


東日本大震災について 義援金のお願い 支援隊レポート
その1|その2|その3最終版

支援隊レポート・その2

さくら診療所 井上清文

二日目支援報告です。

今日は7:50集合で、地震で使用不能になった、長町病院の門前クリニックの片付けに行きました。

19名で、ひたすら力仕事のようです。ヘルメット、軍手持参で、筋肉痛は覚悟だそうです。

昨日から、先日の東京都知事選に出た、前衆議院議員の小池晃医師も現地入りし、今日は医療チームとして避難所に入るようです。

長町病院までは約1時間、途中の道は場所によっては盛り上がったり波打ったりというところもありましたが、幹線道路はほとんど復旧しているようです。

いい天気です。こちらでは桜がちょうど見頃のようで、ところどころで満開でした。

長町の駅前の再開発地域のような更地には、仮設住宅が建ち始めていました。

長町病院は、坂総合病院と同じく、病院の向かいに旧病院があり、それがクリニックとして小児科以外の外来がありました。

その旧病院が、地震で増築部分がずれ、建物として使用不能になり、丸ごと潰すしかないという状況だそうです。

建物を潰すのに2億円ほどかかり、歯科と外科の診療が出来なくなる(病院では標榜していなため)んだそうです。

そのクリニックから、使えそうなものやカルテなどを別の倉庫へ移す作業を行いました。

クリニックは電気が来ていない状態で、一階は真っ暗な中発電機を使って明かりをつけての作業でした。

スチールの事務机から待合の長椅子、職員のロッカーにソファーなど、大量にありました。
それを4階とかから降ろすのですが、やはり停電しているのでエレベーターは使えず、狭い暗い階段をひたすら運びます。

大きなものをとりあえずしまっておく倉庫は、車で30分以上離れたところにありました。
大きな倉庫は海沿いにあったらしく、ほとんど津波に流されてしまい、残った倉庫が取り合いになっているようです。

とりあえず、足も手も棒のようになるまで作業をして、昼食はそのまま長町病院でいただきました。

午後からは分かれて作業をしました。私は使えなくなった電子カルテの端末やモニター、プリンタ、ケーブルなどを別の倉庫へ移す作業をしました。

ここは病院と門前診とで同じ電子カルテを使用しており、IDも統一化しているので、患者さんの診療記録をそのままクリニックから病院へ移すことが出来るそうです。
サーバはクリニックに置いてあったそうですが、坂総合病院にも3次バックアップサーバがあり、長町病院では自家発電で電子カルテがそのまま使用することが出来たようです。

職員さんもこの間休日返上で作業されており、疲労も溜まっていたので、なんとか今日中に終わらせたかったのですが、倉庫のほうが一杯になってしまい、上にあった重いものを一階に降ろしきって作業は終了しました。

終わってから、初日の人を連れて帰り道に津波のすさまじい被害に遭った、仙台市若林区を通るとのことだったので連れて行ってもらうことになりました。

その前に、長町病院の隣に銭湯があるので、そこで汗を流して帰ることに。

坂総合病院ではシャワーしかなく、しかも予約制なので、汗だくの状態でお風呂に入れるとはかなりありがたいことでした。

ただ着替えを持って行ってなかったので、それが残念でした。

仙台市若林区は、仙台駅から少し南の東の海岸沿いで、津波で数百人が亡くなられたところです。

津波の実質上の防波堤となった、東部道路という盛り土の有料道路をくぐった途端、それまでとは全く違う光景が目に飛び込んできました。

田んぼはガレキに覆われ、ところどころに流された車が散乱しています。

そして、海岸沿いに近づくにつれ、状況はさらにひどくなりました。

家がなくなっているのです。
家があるはずの場所から、家がなくなっているのです。
残っている家も、一階は殆どなくなっており、向こう側が見えていました。

そして、そんな光景があたり一面、ずっと続いているのです。

言葉を無くしました。寒気がしてきました。
もちろん、似たような光景はテレビで幾らでも見てきました。みなさんもそうだと思います。
しかし、目の当たりにすることがこれほど衝撃的なものかと思いました。

西の向こうのほうでは、仙台市のビル街が摩天楼のように夕日に写っていました。
そして目の前には、家も土地も車も田畑も生活も、そしてたくさんの命をも奪い、何も無くなった光景が広がっています。
津波が来たところと、そうでないところでは、これほど違うものかと改めて思い知らされました。

その後帰りの車では、疲れがどっと出て、気力がなくなりました。

明日に備えてゆっくり休みます。

坂総合病院に帰って夕食を食べていたら、この前東京都知事選に出た、前衆議院議員の小池晃医師がやって来ました。
今日から支援に入って、避難所訪問をしてきたそうです。

ただ、全く特別扱いもなく、みんなと同じ粗食を食べていました。
なんかこんなところにも民医連らしさを感じてしまいました。

明日の予定は先ほど本部に貼り出され、避難所に行くことになりそうです。

pagetop

岡谷会