岡谷会


東日本大震災について 義援金のお願い 支援隊レポート
その1その2その3|最終版|

支援隊レポート・その4

さくら診療所 井上清文

最終日のレポート&まとめのレポートです。

今日は奈良へ帰る日です。
今週はまた少し寒くなるようで、持ってきた上着では寒さがしのぎきれない感じです。被災された方や、今日以降も支援に入るスタッフの体調が気になります。

8:30からの全体ミーティングに参加し、昨日まで一緒で今日以降も引き続き支援に入る、顔見知りになった幾人かと別れ挨拶をし、自然と硬い握手を交わしました。同じ釜の飯を食うような連帯感があり、少し寂しい感じです。

全日本の責任者や、現地の本部スタッフにも知り合いがいたので声をかけました。今日で、述べ支援者が一万人、義捐金は2億円を超えるそうです。 現地のスタッフは、自身も被災者の身であるので、あまり力を入れ過ぎず長い目で復興していきます、とおっしゃっていました。

今日の支援者を送り出した後で、初日の友人が、多賀城から七ヶ浜の津波に遭った地域を車で案内してくれました。

多賀城の辺りは、津波にのまれたというより、じわじわと水かさがあがっていき水没したという地域でした。
建物は比較的残っているのですが、それでも1メートル以上の津波で車ごと流されたり高いところに逃げられずにたくさんの人が亡くなりました。
七ヶ浜から塩釜のあたりで決壊した川には、海から流されてきた船が大量に残されており、中には道路の上に打ち上げられた船もあり、そのまま手つかずの状態でした。
道路の脇には大量の瓦礫や土砂が積まれており、ダンプカーが何度も往復していました。
地元の人にとっては、見慣れた光景があまりに様変わりしている光景は衝撃以外のなにものでもないようでした。

小一時間で友人と再開を誓いながら別れ、坂総合病院から電車に乗りました。今日から塩釜まで再開したところですが、そこから先松島、石巻までは再開のメドすらたっていないそうです。

仙台駅を降りると、それまでの非日常から日常に戻ってきた感じがし、少し力が抜けた気がしました。 仙台から福島まで在来線に乗り、そこから新幹線で東京を通り帰りました。
東京滞在時間は僅か14分と、最短記録でした。19時前に無事、家に帰り、家族に癒されました。

いま、改めて思うことを言います。

東北には、これからも長い、長い支援が必要です。
それは、民医連だからとか、坂総合病院のある地域だからとかではなく、全体的なことです。

民医連の力にも限界があります。何より、それはあくまで私的な有志による支援であり、やはり公的な支援が速やかに、隅々まで行き届く必要があります。

様々な連携をとりながら直接的な支援をしつつ、一方で現場からの声で公を動かしていく、そういう視点で支援していくことが大切なのだと思います。

そして、出来るだけ多くのみなさんにも、直接的な支援に参加してもらいたいと思います。

行ける人が行き、行けない人は現場を守り、行った人は自分の目と耳と肌で感じ、求められていることを精一杯実行し、次の人にバトンを渡し、帰ってきてみんなで共有する、そういう事かなと思います。

最後に、現地のスタッフから、全国の支援者へのメッセージを一つ紹介したいと思います。

「震災の直後から、全国からみなさんが支援に来てくれました。たくさんの方の力が支えになりました。民医連ってステキだなって、改めて思います。ありがとうごさいます。」

今の私の気持ちも、難しいことを言わずにまとめるとこのメッセージに等しいです。
民医連って「ステキ」だと改めて思います。

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